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BJの体調不良

木曜日朝、BJが青い顔をしていた。
胃痛がして、水様性下痢がひどいという。
職場に連絡して、休むことに。

胃腸風邪かなあ、近隣の学校でも流行ってるって言ってたし・・・
と思い、ポカリやインゼリーなどマツキヨで買ってきて様子を見る。

下痢がひどく、口から水分も取れないような状態だったので
「病院行く?日本だから、すぐ点滴してくれるわよ」
と言ったら
「・・・いらない。
うちのクリニックから、看護師が、必要ならいつでも
点滴打ちに行きますよって言ってくれたから大丈夫」

あら。
医療従事者、便利ねえ~。


でも、熱は無いし下痢と吐き気、胃痛の他に症状もないし、
風邪やインフルではなさそうな・・・・


・・・あ。

ノロウイルスか。


冬場だしな~、そうだわ、流行る時期だわ。
小さい子供がいないので気が付かなかったっていうか、忘れてた。

そうであれば、まずは消毒だ。



コロナなんかと違って、ノロの場合はアルコール消毒ではきかない。
次亜塩素酸ナトリウムで消毒しないといけないので、
台所用塩素系漂白剤を薄めてスプレーを作る。
水に対して0.02%の漂白剤を入れて作るとネットで見たので、
このスプレーは150mlだから3mlの漂白剤を加えて自作。

幸い我が家にはトイレが2か所あるので、
一つをBJ専用にして私とは分ける。
ノロの感染力は半端じゃないので、とにかく隔離と消毒、だ。
コロナとかわんないか~。

BJが触った場所(ドアノブとか電灯のスイッチとかトイレ内とか)は
次亜塩素酸スプレーと使い捨てワイプで拭きまくる。
私があまりに追っかけ回して拭きまくるので、
「蛇蝎のように嫌われている」
とBJは嘆いていたけど、今は仕方ないでしょう。

更に私自身、手洗いしまくるのでもう手がバサバサ。

金曜日、昼にはBJはちょっと回復して
「冷たい蕎麦なら食べられそう」
と言うので、買ってくる。
ついでにぬか漬けも買ってきて
「乳酸菌だし塩分も取れるかなと思って」
と言ったら、
「カリウムも取れるしね」
とBJ。
療養食の説明がなんか理詰め。

しかし、日本にいると「流水ですすぐだけで食べられる蕎麦」とか
「切ってきれいに盛り付けてあるぬか漬け」とか
すぐに買ってこられるから本当に楽~!
アメリカにいたらチキンスープ食べさせる羽目になってたわ。

現在、金曜日の夜。
BJの症状は峠を越したようで、
私もうつされてはいないようだし
まあこれで週末おとなしくしてれば治るかな。

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三味線の発表会

今年1月から夫婦で習い始めた津軽三味線。
毎年12月に地元の福祉会館を借りて内輪の発表会をし、
その後場所を変えて忘年会が行われているそうで。
私達もこの12月3日、初めて参加させていただいた。

発表会なので、各自練習してきた曲を披露するわけだが
BJはちゃんと一人で弾いたものの、
私は何しろ葬儀が二つも重なってほとんど実家にいる事になり
全く練習が出来なかったので今回は勘弁していただき
皆さんの演奏を拝聴するのみ。
でも、普段個人レッスンで他の方の演奏は聞いた事がないので、
今回色々聞けて勉強になった。

三味線だけでなく、民謡をうたう方や太鼓を演奏する方もいて面白かった。
来年は私もキーボード持ち込んでいっちょ弾いてみようかしら(違う)。

いったん解散して各自家に帰ったりして、
夕方から今度は駅前の魚民で忘年会。
飲み放題プランだから飲んで飲んで、
と言われて調子に乗ってレモンサワーがんがん飲んで、
その後二次会だーとカラオケへ移動してからも
飲み放題プランのハイボールを飲みまくっていたのだが
よっぽど薄くて水っぽかったのだろう、
その晩寝た後に喉が渇いて目が覚める事が無かったのには笑った。
普通、アルコール摂取しすぎると喉渇くでしょ。
全然それがなかったって、どんだけ水っぽかったんだ。
そういえば全然酔わなかったもんねえ・・・そりゃそうだわなあ・・・。

この三味線の会には30人ほどのお弟子さん達がいるのだが、
大体が同世代なのでカラオケでも懐かしい歌ばかりで笑った。
若いお嬢さん(20代)もいるのだけど、
お母さん達に仕込まれてるのかキャンディーズなど歌っていて感心。
ていうか、20代で津軽三味線やってるっていうのがもう感心よね。

忘年会とカラオケで、だいぶ他のお弟子さん達の顔と名前が一致した。
今後のお祭りや民謡大会の時にちゃんとご挨拶出来るようになるかも。

父の葬儀

11月9日午前1時過ぎ、父が他界した。
ここ3週間ほど、誤嚥性肺炎からの発熱が続き、
ほとんど眠っている状態だったので最後も静かなものだったそうだ。
母と末妹が、介護施設の父の部屋で最期を看取った。
私と上の妹は朝になってから知らせを受け、
9日午前中に私は実家へ。

カリフォルニアにいるナナにLINEで連絡したところ、
会社(SONY)では忌引きで10日間の休みがもらえるので
日本に来ると言ってくれた。
てか、忌引きで10日間て。さすが日本企業。

父の遺体はきれいにしてもらって葬儀社の安置室に寝かせてもらい、
火葬場とお寺の都合により13日にお通夜、14日に告別式と決まった。
思ったより葬儀まで時間があったので、準備が出来て良かった。

ナナは12日に羽田へ飛んで来てくれた。
私が車で迎えに行き、そのまま実家に。
母は久しぶりに(実に5年ぶり!)会う孫を見て泣いていた。
コロナもあって全然日本に来られなかったからね・・・。

13日は上の妹一家も来て、夕方から池上本門寺でお通夜。
思ったよりも沢山参列の方がいらして下さり、ありがたい限り。
私にとっては何十年ぶりにお会いするお顔もあり、懐かしかった。

お寺ではお通夜は夜8時過ぎには終わり、皆で家に戻る。
母と末妹、私達夫婦とナナ、上の妹一家4人の総勢9名が
ぎゅうぎゅう詰めになって実家泊まり。
甥たちは居間に適当に転がって寝ていた。
私は家から一組布団を持って行ったが、
そういえば昔は布団やさんで貸布団とかあったわね・・・。

明けて14日、早朝からそれぞれシャワーを浴び、
私と妹達は朝食の用意。
9人分ともなると結構な量である。

午前8時、家を出発。
9時から告別式。
11時前にお寺を出て火葬場へ。
12時過ぎにまたお寺へ戻り、初七日の法要。
その後精進落としの昼食会。

幸いお天気も良く、暖かい日だったので移動も楽だった。
しかし、お寺の葬儀会場が2階で、お棺の入るエレベーターもなく
親族男性一同で階段をお棺かついで降りるのには驚いた。
皆さまお疲れ様でした・・・。

無事に終わって実家に戻ったらもうへとへと。
ナナはそのまま実家に泊まらせてもらうが、
私とBJは荷物まとめてさっさと帰らせてもらった。
さすがに疲れちゃって、早く家に帰って休みたかったので。

でも今回なんて葬儀社が全部仕切ってくれて、
お食事だって全部仕出しだったから何もしてないのに本当に疲れた!
昔の葬儀は家でやってたし、お料理も女達が作ってたのだから
どれだけ大変だったんだろう・・・。
現代で良かった。

ともあれ、なんというか一段落したなあという感じ。
悲しいというよりは、ホッとした。
父の大好きだった海にもこの夏連れて行ってあげられたし、
施設に預けたのは本当に最後の2か月ちょっとだけだったし、
家族皆で介護をやり切った、という気がしている。
お疲れ様でした、私達。良くやったよ。
パパも、お疲れ様でした。今頃おばあちゃま達と会ってるかな。

その後の父

施設に入った父は、思ったよりもおとなしく
お利口さんにしているらしい。
私もちょこっとお迎えの時に会ったりはしたが、
母が家に帰る時にゴネたりもしないし
おとなしいというか、もう色々わかってないんだなという感じがした。

施設でちゃんと食事させてもらっているし
お風呂や入れ歯のケアもしてもらっているから
家にいた時よりも段々顔色も良くなり元気になっている感じ。
これは長生きしそうだわ。

母は今のところ毎日父に付き添って午前9時ごろから
夜8時ごろまで施設にいる。
それでも、「じゃあまた明日ね」と帰ってきて
彼女1人で朝までちゃんと寝られるのは楽みたいだ。
父がいた時は、午前3時や4時に父がトイレに行くだの
あるいは目が覚めたからテレビ見るだのと
母のタイミングでない時に起こされたりしていたし、
ほぼ毎朝、父がびしょびしょにしたシーツだの
ベッドパッドを外して洗濯していたのだから。

そういう仕事がなくなった分、
きっと母の体は楽になっただろうと思って
私たちがそういうと
「あら、別に、パパのお世話は大変だと思ってなかったしねえ」
とぬかすのだ。
いやまあ、それだけ愛してる旦那様なのでしょうし、
いいんだけどさあ。

実際のところ、父が施設に入ってくれて
一番ホッとして助かっているのは私たち三姉妹なのだと思う。
お金で済む話ならもっと早くにこうしておきたかったけど、
父の頭がこのぐらい混沌とするまでは無理だったし。
それにしても私たち3人が、ほぼ同時に
「もう無理」と思ったのはそういう天の采配だったのか。

このまま静かに、平穏に過ごしていけますように。

父の施設入居

父を介護施設に入居させる話だが、
先日の打ち合わせとは変わって急転、
8月29日に入居することになった。

27日(日曜日)に父がいよいよ動けなくなり、
居間でそのまま寝ることになったのをきっかけに
末妹がケアマネや訪問診療の医師に連絡、
いったん病院に入院させてそこから施設へスライドさせようとなった。
しかし、28日(月曜日)に改めて病院にきいたところ
入院は受け入れできないと断られてしまった。
その時ちょうど施設の方達が父の面接にいらしていて、
暴言を吐く様子や動けない様子を見て
さらに入院を断られた末妹がショックで泣いたのも見て
翌火曜日から受け入れられるように調整します、と
言ってくださったのである。

その後連絡があり、火曜日の朝9時頃迎えに来てくださるということに。
月曜日は上の妹が手伝いに行っていたが
火曜日は仕事があるので帰らねばならないという。
そこで、月曜の夜から私が実家へ行って泊まり、
火曜日の朝に父が施設へ入る時
母と末妹と一緒に付き添っていくことにした。

BJは何しろ本人が訪問診療の仕事をしているので
こういった突発的な事態に慣れていることもあり、
もともと自分のことは自分で出来る人なこともあり
「もちろんこっちは構わないよ、行ってらっしゃい」
と送り出してくれる。感謝である。

月曜日に行ってみると、父はもう椅子にちゃんと座ることもできず
なんだかななめにだらっとしていて動けない様子。
食事ももう食卓まで歩いてこられないので、
母がそちらへ持っていって口へ運んで食べさせていた。
つい先週までは食卓に座って自分で食べられていたのに、
悪くなる時はあっという間なのだな。

火曜日の朝には予定通り施設の方達が3人で迎えに来てくださり、
幸い父の調子も昨日までよりは少し良かったので
なんとか歩かせて車に乗せ、施設へ移動。
母は父に付き添っていき、私と末妹は後から末妹の車で施設へ。

末妹はそこから事務手続きや説明を受けるので事務所へ行ってしまい、
私が父母に付き合ってそばにいることに。
母が何かを買ってきてくれとか家から持ってきてほしいと
言い出しかねないので、一応私がついていることにしたのである。
結果からいうとその必要はあまりなかったけど、
でも私がついていることで末妹は安心だったそうで、一応役に立ったかな。

昼食は近くのコンビニでおにぎりなど買ってきてすませ、
午後もまた末妹はほかの事務手続きがあってそちらへ。
父は思ったより大人しく自室で昼寝などしており、
こちらは特に問題もなくて助かった。
結局、もろもろが済んで私と妹が引き上げたのは午後4時半過ぎだった。
1日仕事になってしまった。さすがに疲れた。

施設の夕食は5時半から7時半の好きなタイミングで、ということで
母は父の食事介助をしてから帰宅することに。
もちろん妹か私が迎えに行くわけだが。
でも実家から車で15分の距離だし行き慣れているあたりなので楽である。

私は水曜日の午前中に三味線のお稽古があるので、
夕ご飯を食べた後に車で帰宅。
夜は高速が空いているから1時間かからず帰れたので良かった。

とりあえず父が家に帰るとかゴタゴタ言い出しませんように。

次は週末に実家へ行く予定。
プロフィール

Mimi

Author:Mimi
1993年からアメリカ在住でしたが、
2021年8月、夫と2人で日本へ本帰国。
娘はカリフォルニアで社会人生活、息子はテネシー州ナッシュビルにいるらしい。

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