社交ダンス

スターとプロのダンサーが組んで競い合う番組「Dancing with the Stars」が好きで良く見ている。

何を隠そう、私は短大時代社交ダンス部に所属していたのだ。
だから競技ダンスの最低限の知識は持ち合わせているので、見ていても色々面白いわけ。
たまにPBS(NHK教育みたいなチャンネル)でプロの競技ダンス中継をやってたりするのだが
それも見たりしている。

「Dancing with the Stars(略してDWTS)」だと一組ずつが踊って採点してもらうのだが、
実際の競技ダンスというのはすごい数のペアが一気に同じフロアで踊りまくるのだ。
だから自分達が考えていた振り付けが、他のペアの動きによって妨げられてしまって
変更して向きをかえてまた違うところへ行って見せ場を作る・・・とか、色々臨機応変にしないといけない。
その辺のリーダー(男性をリーダーと呼び、女子はパートナーと呼ばれる)の判断も点数になるわけ。
つか、リーダーの点数が7割でパートナーは3割だからねー。添え物のお花なのよね。

学生競技ダンスだともちろん全員素人の学生なわけだから、この臨機応変というのが大変。
リーダーの男の子達は覚えた振り付けをこなすだけで精一杯だから、
他のペアがこちらの進路に入ってくるだろうなとか見てる余裕はない。
そしてパートナー(女子)は基本的に後ろ向きに進むものなので、一切進行方向が見えない。
するとどうなるか。

すごい勢いで衝突して、女子がぶっとんでフロアのあっちまですべっていってしまったりするのである。

ま、大怪我したなんてのは見たことないけど。
若かったからかねー。

たまにプロの大会でもぶつかってるの見るもんね。
やはりあの混雑のなかでうまくリードするのは至難の業なのだ。

そしてかかる曲も本人達が選ぶわけではない。
ワルツならワルツ、クイックステップならクイックステップのリズムに編曲した何かの曲が突然かかるので、
適当にカウントをあわせて踊りだす。
そして終わりも突然ボリュームがしぼられてフェードアウトするので、
クライマックスやらサビやらフィニッシュというのはない。

なんでだろ?舞踏会の雰囲気をそのままにしてるのかしらね?

しかし一番驚くのは、何をかくそうダンス部は「体育会」であることだ。
朝は始発電車で試合会場にかけつけ、先輩方がいらっしゃるのがたとえそこから2時間後であろうと
お待ちしなければならない。
そして会場では座ることは許されず、たちっぱなしでひたすら大声をあげてダンス曲のリズムに合わせ
「○○番、東大(仮)-!」とか
ゼッケン番号と大学名を叫び続けて応援しなければいけない。
うんざりして小さい声になると「声が小さい!」と、先輩方から檄が飛ぶのである。

さすがに今は違うだろうけど、当時(80年代)の大学社交ダンス部はどこもそういう感じだったのよ。
ちなみに学校によっては社交ダンス部を「しゃぶけん」と呼んでいた。
「社交舞踏研究会」の略だそうだ。

当時は、大会の時女子は華やかなドレスを着るが男子は学ランと決まっていた。
この学ランは特注のもので、伸縮する生地で体にぴったりしたラインに作ってある。
しかし学ランで社交ダンスって・・・モダン(ワルツ、クイックステップ、スローフォックストロット、
タンゴ)はともかくラテン(当時はルンバとチャチャチャのみだったかな)の時はかなり奇異でしたな。

あーなんか、長くなってしまった。
もっと色々思い出してきたのだけど、それはまた今度。


☆    ☆    ☆

ズッパ・トスカーナ、ご飯deパン、チーズとクラッカー
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享年おいくつ?

BJがここアラバマへ戻ってくるきっかけを作ってくださった
恩人のドクターが先日がんで亡くなられた。

今日はその告別式へ参列してきた。

帰宅してからふと思い出して、

「そういえば、あなたのお父様って、何歳で亡くなったんだっけ。」

と訊くと

「覚えてねーよ。大体、何年だったかもわかんないし。」

とBJ。

「俺がイギリスいた頃だったから、88年から92年のどっかだろ。」

というので

「あら、アタシ(と前の夫)があなたのクルマを(お葬式で帰国中に)預かってたんだから、
アタシ(達夫婦)がイギリスにいた時代だわよ。だから89年から91年の間よね。」

と答える私。

「おお、そりゃすごい。可能性が一気に半分にせばまったな!」

不謹慎だが2人で大笑い。

「それに、ウインザーにいた頃だから(BJと知り合ったウエールズではなく)、
そうすると90年か91年だわよ。」

と私。

「おお、もっとせばまったな。」

とBJ。

結局、90年だったのだろうという話にはなったのだが・・・
なんか、こんなもんでいいのかしら!?
つか、息子ってこんなもんなのかしら!!??



☆    ☆    ☆

ジャンバラヤ、グルーパーのフライ、にんじんしりしり(指けずりました、ご注意ください)
ピータン豆腐

焦げたカレー

と言ってもかれこれ20年前の話。

当時私は前夫とイングランドに、BJは前妻とウェールズに住んでいた。

平日の昼間、私は鍋いっぱいに作ったカレーを温めていた。
そこへBJから、所用でロンドンへ行くので云々という電話が。
その当時、まだ私達の間には何も無かったが私はもうBJが好きだった。
だから電話をもらって嬉しくて、カレーの鍋は火にかけたままだったが
「ちょっと待っててください」を言うのもイヤでそのまま話していた。
だって、「ちょっと待って」と言ったら何か都合が悪いかときっと気をつかわれて、
すぐ切られてしまうかもしれないじゃない。そんなのやだ。

しかし話しているうちにさすがに焦げ臭いにおいがしてきて・・・
ついに私もあきらめ、

「ごめんなさい、今、お鍋を火にかけてるもんですから・・・」

と、電話を切って台所に走った。

時既に遅し。カレーは見事に焦げていた。


そうだ、あの当時はコードレスすら無かったんだよねえ・・・。
今なら話しながら鍋の様子を見る事だって簡単なのに。


それからずっと後になってこの時の話をBJにしたら、
あちらはあちらでまるで違う解釈をしてたので大笑いした。
いわく

「鍋を火にかけてるなんて言って、そんなん言い訳に決まってる、
電話切りたいだけだったんだろ、って腹立ててた」

だそーで。

わはははは、違う、違う~~~!!!ほんとだったんだってば!!

そしてその時ロンドンに行く用事はBJひとりでの用だったので
私が一緒に来るって言ってくれないかなあ、なんて思っていたのだそうだ。
やだわー、そういうのは早く言ってくれなくちゃー!
私だって実は一緒に行きたかったしデートしたかったけど
そうは言うわけにいかなかったんだから。


色々とストレートに言うわけにいかないスタートだったから、
後で照らし合わせるとお互い考えてた事がまるで的外れだったり
嫉妬してたのに相手はまるで気がついてなかったり
かわいかったわねーお互い。

あの頃君は、若かった。いや、私もだ。
プロフィール

Mimi

Author:Mimi
アメリカ生活もかれこれ20年。
夫と子供2人(うち1人は大学進学でオハイオ在住)、猫1匹とアラバマの田舎に住んでいます。

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